「可愛くない」アヒルの仔



 可愛くない娘であるという、自覚はある。
 彼女は日差しの翳りだした外を気にしながら、音高くキーボードを叩いていた。

(……そうよ。わたしは、可愛くない)

 それは外見とか、そう言うものではない。
 例えば、幼い子供にお菓子をあげたとして、素直に「ありがとう」と受け取る。これが可愛い子。逆に、「結構です」と遠慮する。これが可愛くない子。
 あくまで一般論だし、お菓子をあげる側の主観にもよるのだろうが。
 彼女は……山口真美は明らかに後者の部類に属する少女だった。
 強くENTERキーを叩くと、打ち込まれた仮名文字は、真美が望む形へと一発で変換される。
 よく、教育が行き届いていた。
 彼女は表示された文字を一瞥すると、椅子の背もたれに体を預け、ため息を一つ。

(……ホント、可愛くないのよね)

 本年度を以て実質的な新聞部最高責任者となった彼女は、今年度初のリリアン女学園の学園誌、「リリアンかわら版」の発行に向けて最後の詰めを行っていた。
 記事の推敲を終えて、編集後記を執筆。先刻のENTERが、作業終了の狼煙となるはずだった。後はプリンターに任せて、刷るばかり。
 だが、不思議と真美の心は晴れなかった。
 指先で両の瞼を押さえて、天井を振り仰ぐと、そろそろ明度の怪しくなった蛍光灯が揺らめいている。
 疲れがあるのか、真美の視界が一瞬揺らいだ。ぼんやりと、彼女の思考が記憶の中に埋没していく。



「任せたわよ、真美!」

 痛いほど強烈に、そのお方は真美の両肩を叩き、仰ったものだ。

「伝統あるリリアンかわら版の灯を、守って頂戴!」

 そんな大げさなものでもないだろうと思う真美である。まあ、そもそも、先代の新聞部部長、築山三奈子さまと言うお方は、そういう御仁なのだから仕方がない。
 度外れた感激屋で、情熱家。思い立ったら吉日を地で行く彼女は、ただの学園新聞でしかなかったリリアンかわら版を、いっぱしのゴシップ誌に変えてしまった。
 まあ、そのこと自体に真美は文句はない。それもまた一つの報道の形だと思うし、実際、三奈子さまの情報収集能力……いや、情報と出会う、情報遭遇能力は度外れていた。
 彼女の妹となった半年ばかりの間に、どれだけのスクープが紙面を賑わわせたことか。
 そんな、ある意味、今をときめく三奈子さまが、自分を妹に見初めたのはどういうきっかけだっただろう。
 ……正直、良く覚えていない。
 そんな、クラスメイトの祐巳さんみたいに、ドラマチックな出会いでなかったことだけは確かだ。

「まあ、前向きに善処します」

 ちょっと間を置いて、真美は一人で盛り上がる三奈子さまに軽く会釈して見せた。
 これで、新聞部編集長の引き継ぎはつつがなく終了したことになる。
 もっと感動的なシーンでも想像していたのだろうか? 三奈子さまはちょっと不満そうに、唇を尖らせた。口を突いて出たのはこのセリフである。

「全くもう……かわいくないんだから」

「では、私が目を潤ませでもすれば満足されますか?」

 ああ、またやってしまった。
 真美は言い返してから、後悔した。また、刺々しい物言いになってしまったか。
 三奈子さまの言葉は、大してよく考えずに発されている場合が多い。それに一々感情的になって、言葉を返しているというのでは、話が進まない。
 案の定、三奈子さまはぷっと膨れて、口の中でかわいくない、とか、またそう言うことを呟いた。
 しかし、気に病む必要は無かろう。彼女の頭は非常にお気楽に出来ている。嫌なことなど、すぐに忘れてしまう。
 忘れないのは、真美の方だ。
 また、お姉さまにきつい物言いをしてしまった。皮肉を言ってしまった。その事が、ずんと胸に重くのしかかる。
 我ながら苦労性だと思う。
 至極、楽天家の姉と、苦労性で内にため込む妹。
 これはこれで、良くできているのかも知れない。
 真美は溜め息を吐き……

「あら、真美さんまでお悩みのご様子ね」

 顔を上げた途端、パシャッと音がした。
 そこには、おニューのカメラを構えた蔦子さん。そしてここは、いつの間にか二年松組の教室である。

「蔦子さん」

 抗議の声をあげると、武嶋蔦子嬢は笑いながら、ごめんなさい、と謝った。

「でも、愁いを帯びた表情も素敵よ?」

「はいはい」

 季節は梅雨に入り、制服も夏服に変わっていた。
 ふと真美は気付き、蔦子さんに問う。

「あれ? 祐巳さん、今日は教室でご飯食べているんだ……」

 いつもであれば薔薇の館で、山百合会の面々と共にお昼ご飯をつついているはずなのに。

「ええ。 さっきまで、由乃さんが誘っていたみたいだけれども」

 蔦子さんが説明してくれるが、何だか耳に入らない。
 彼女の顔が妙に浮かないように見えて、何だか真美の気持ちも沈んだ。
 事件のにおいとか、そういう感性が働いてこない。
 ……真美は……憂鬱な気持ちで窓の外を眺めた。

「疲れているのかもね……」

 真美は、また溜め息。
 彼女が編集長になってからと言うもの、リリアンかわら版はごく良心的な新聞へと変化した。
 取材を強引に行うことは無くなり、記事としてまとめる際にも、取材相手の許可をもらう。フェアであることが真美のスタンスだった。
 それは三奈子さまの側で、ゴシップ誌化したかわら版に関わり続けてきた反動であったかも知れない。
 確かに問題は減った。
 つつがなく記事は作られ、発行されている。山百合会との関係も良好。同じクラスになったよしみで、祐巳さんと由乃さんからは、結構な情報提供を受けていた。
 しかし、真美は感じるのだ。
 これで、いいのだろうか?
 そつなくまとまった紙面からは、以前のような演出性も、ギラギラとした情熱も感じられない。
 三奈子さまという人物は問題の多い方であったが、その分だけ、ゴシップという名のエンターテイメントに関するセンスは飛び抜けていたように思う。
 真美の作ったかわら版は、学校側からしてみれば満点に近い学園誌であったろうが、生徒のが判らしてみればどうだっただろう。
 真美は、そんなことを考えるようになっていた。
 理屈では判っている。
 お姉さまと真美では、ジャーナリズムに関する持論に著しい差違が生じている。だから、作る紙面が個性を反映し、大きく変わるのは当然なのだ。
 しかし、大きな問題を引き起こしもしたが、学園に間違いなく、一大ムーブメントを呼んだのもまた、三奈子さまが携わったかわら版だった。
 果たしてそれが、自分に可能なのか?

「ちょっと、ごめんなさい」

 真美は蔦子さんに会釈して、立ち上がった。

「腹ごなしのお散歩?」

「まあね」

 何もかも判っているような、ぞくっと来る視線が、蔦子さんの眼鏡の奥から注がれる。でも、彼女は真美に、何も尋ねようとはしないのだ。
 必要以上に踏み込んでこない。
 真美はそう言う蔦子さんのスタンスに好感を覚えるが、冷静に考えてみると、こう感じるのだ。

「でも、そういう老成した女子高生って、可愛くないわよね……」




 気が付くと、部室に足を向けていた。今週分のかわら版は、おおよその草稿が既に上がっている。つまり、部室に詰めて食事も摂らずに執筆……ということをする必要はないわけだ。
 扉の鍵は掛かっていなかった。疑問符を頭に浮かべながら戸を開けると、埃っぽいにおいがした。
 窓から日差しが差し込んでいる。
 一台しかないパソコンの前に、見慣れた人影があった。

「あら、真美さま」

 こちらが気付くより先に、彼女は真美の存在を察していたらしい。
 椅子に腰掛けたまま、軽く会釈した。
 耳に掛かるくらいの髪の毛が揺れて、また戻った。

「どうしたんですか?」

「うぅん、ちょっとね」

 真美は曖昧に笑って見せた。その笑顔に、彼女は露骨に不審そうな表情をする。

「どうしたんです。 悩み事ですか?」

 ドキッとした。彼女はまだ一年生で、入部当初、「三奈子さまと真美さまに憧れて入部しました」と、さらりと言ってのけた人物だ。
 言うなれば、入るべくして入部した、生え抜きの新聞部員。
 それだけに、下手な二年部員よりも、眼力は鋭く、行動力もある。

「取り繕った笑顔なんて、真美さまらしくないですよ。 もっと無愛想にしていらっしゃらないと」

 そして、遠慮もない。

「わたしの推測によると……最近のかわら版について、何か問題をお感じで」

「どうして?」

 鋭い。真美は思わず数歩、後退った。
 すると彼女は、まだ多分に幼さの残った面差しに皮肉気な笑みを浮かべて、

「いえ、新聞部編集長である真美さまのお悩みというと、まあ十中八九かわら版の事で間違いないかと」

 ……なんだ。
 真美は胸をなで下ろした。

「真美さまって、三奈子さまに似て新聞バカ……おっと、失礼しました」

 そして一言多い。
 彼女はすっと立ち上がると、パソコンの電源を落とし、首を傾げた。

「わたし、出て行った方がいいですよね?」

 答えを待たず、彼女は出て行ってしまった。
 全く、こういう一年生なんて、

「かわいくない……」

 真美は思わず呟いていた。



 さて、一人になると、真美は手近な椅子に腰を下ろし、ゆっくりと脱力した。
 ……さあ、どうしよう?
 遣り場のない思いが真美の中を渦巻いている。
 もやもやとした、憤りとか、不安とか、改めて認識してみると、どうやらこれらのマイナス感情が、真美の中では相当鬱屈して溜まっているらしい。
 ……こんな時、祐巳さんなら。
 真美は、いつもは明るく元気な、あの紅薔薇の蕾のことを思い浮かべてみる。
 彼女ならこういう気持ちは、きっと、愛しいお姉さまに言ってしまうのでは無かろうか。いや、逆に、現紅薔薇たるあの方に迷惑をかけぬよう、己の内にしまい込んでしまう?

「あれ、じゃあ、さっきの祐巳さんは、もしかして!」

 事件のにおいを感じ取り、思わず立ち上がる真美。
 そしてすぐに、自分の頭を叩きながら腰掛けた。

「いかんいかん。 直情径行に、思考が移っちゃうなんて……。 まるでお姉さまだわ」

 悩んでいることを思いだした真美。額に手の平を当てて、考える人のポーズ。
 端から見ていると面白いだけだが、その実、真美本人は軽い鬱状態である。洒落では済まされない。
 パソコンのスイッチを入れると、軽い起動音がしてディスプレイに灯がともった。
 何かをやろうとか、そういう明確な意志があって電源を入れたわけではない。真美は、最近使用したファイルの一覧を展開。昨日までいじっていたかわら版の文面を開いた。
 記事の草稿を眺める時、真美の目は真剣そのものになる。
 端から端まで穴があくほど見通すと、午後の授業の予鈴が鳴り始める時刻になった。
 真美の気持ちは、一層沈んでいた。
 読めば読むほど、文章の穴が見えてくる。それは、陰鬱になった真美の目が、推敲と言うよりも粗探しをしてしまっていたのだろう。
 何だか、教室に帰りたくなかった。
 自分が、なりたい自分になれていない。そういうもどかしさが、沈んだ真美の心を苛むのだ。
 このまま平常心で授業を受ける自信はない。かと言って、やはり生粋のリリアンっ子である真美に、授業をボイコットする度胸もまたないのだった。




「真美さん、大丈夫?」

 蔦子さんが心配そうに、声を掛けた。
 真美には答える余裕もない。完全な鬱だった。

「シングルの私が言うセリフじゃないけれど、真美さん、吐き出すべき事は、ちゃんと吐き出すべき人にぶつけるべきよ」

 さすがは、隣り合う部室の住人。真美の悩みがなんなのか、察しているようだ。
 もしかすると、いつのまにか口に出していたのかもしれない。
 真美は力無く頷いた。
 蔦子さんは、まだ何か言いたげにしていたが、次の授業の教師がやってくれば、席に着くより他なかった。
 空は見事なまでに曇天で、真美には今の自分を表しているようにも思えた。
 徐々に空は暗くなってくる。
 放課後には、周囲はまるで、薄闇に包まれたような光景になっていた。
 しとしととそぼ降る雨はその勢いを増し、古い木造の学園校舎を激しく叩く。




 真美は記憶の旅から帰ってきた。
 覚醒すると、瞼を擦りながら窓の外を見やる。
 暗がりの中、激しい雨が降り注いでいた。
 真美は小さくため息をつくと、立ち上がった。

「……帰ろう」

 傘を手にすると、部室の鍵を掛ける。クラブ棟に、人影はなかった。
 周囲が暗いお陰で、正確な時間が判らない。腕時計を確認して、驚いた。もう、下校時刻ギリギリである。それだけ長い間、作業をしていた訳である。
 おおよそ、原稿の校正は終了していた。
 自分が納得できる範囲内で、出来ることは全てやったのだ。少なくとも、今の真美が出来る全てをこの原稿に注ぎ込んだ。
 これでもダメなら……。
 真美は天井をふり仰いだ。
 ちかちかと蛍光灯が点滅している。雨を避けるように、蛾が明かりにたかっていた。
 無意識のうちに、手が首筋に伸びる。ロザリオを繋ぐ紐をいじって、真美は唇をかみしめた。
 吐息が震える。
 不意に、逢いたい、と思った。
 危なっかしいお姉さまでも、今はただ、逢たかった。
 きっと、こうして純粋にお姉さまを求めるのが、可愛い妹という奴なのだろう。真美は思う。
 でも、真美のお姉さまは、迫る模試に備えて早めに帰宅しているはずだった。
 そう言えば、今日はまだ、一度も会っていない。

 ……逢いたいよ、お姉さま……。

 傘を差して、クラブ棟を出た。
 夏服になったばかりだというのに、外は肌寒いほどである。
 職員室に鍵を返すと、真美は一礼して廊下へ出た。
 その足は、昇降口へ向かうのではなく、自然と三年生の教室へ向いた。
 それは、お姉さまに逢いたい一心で、絶望と紙一重の出逢いにも縋りたい。そんな気持ちの表れだったのだろう。
 誰一人生徒のいない校舎を、真美は一人、歩いた。避けきれなかった雨の水滴が、真美の制服から滴っている。

 ……いるわけない。

 そう思いながら、体は心に正直で、退くことは出来ない。
 いつしか、お姉さまの学ぶ教室の前に立っていた。
 扉に手を、掛ける。
 しかし、そこに力を入れる勇気がなかった。
 扉を開いて、お姉さまの姿が教室になかったら……。自分は立ち直れなくなってしまうかも知れない。
 いや、きっとダメになってしまう。
 真美は廊下に座り込んでいた。
 心許ない明かりの下、ぼうっと扉を見つめる。
 ……と、真美のすぐ横で奇妙な音がした。
 重い物を転がすような音だ。
 ふと側に目をやると、そこには緑色の大きな塊が、鎮座ましましていた。
 ……カエルだ。
 生物部から逃げ出したのだろう。
 真美の手の平には収まりきれないほどの、丸まると太った特大のカエルだった。
 雨の日に、カエルが建物の中にいる。
 じっと目線が交錯し、見つめ合う内になんともおかしくなってきて、真美は吹き出した。
 いつもならばグロテスクに思えてしまうその姿が、今は嬉しかった。
 一人ではない、と実感できるから。
 真美が手を伸ばすと、思いの外俊敏に、カエルは避けた。
 真美は立ち上がり、距離の離れたカエルに近づく。すると、カエルはまた逃げた。
 後を追い、真美は古びた教室の中を、奇妙な追いかけっこに興ずる。
 何も考えない時間。
 この時が、楽しかった。
 階段の前まで、カエルは一気に跳躍する。

「待て!」

 真美はまた追いかけた。
 そこが階段であることも忘れて、勢いよく床を蹴る。
 真美が手を伸ばすと、カエルはまたも、あっさりとその身をかわす。勢いあまり、真美の体が階段へとつんのめった。

「あ」

 体が、宙に浮く……。
 次の瞬間、真美の顔は何か柔らかな感触に抱き止められていた。
 そこからの時間の経過が、真美にとってはまるでスローモーションのよう。
 馴染みのある柔らかさに顔を上げていくと、そこには見知った顔があった。いつもであれば、頼りない、放っておけないと思うような、彼女の顔。
 ポニーテールの彼女は、今はとても心強く感じられた。それは、真美が今、一番逢いたいと思っていた顔だったから。
 ……ただ、その顔は今現在、非常に余裕のなさそうな顔をしていた。

「まッ、真美……ッ!! お、お、お、落ちるッ!!」

「え?」

 築山三奈子さまは、真美を受け止めて、かろうじて爪先立ちになっていた階段の上、遂に足を踏み外した。
 二人は団子状になって階段を転げ落ちる。
 幸い、踊り場が近かったお陰で、深刻なことにならずに済んだが……。

「イタタタタ……」

 お姉さまは涙目になって、壁を背に呻いた。
 しっかりと、守るように真美の体を抱き止めている。

「新聞部が事故にあって記事になったら、世話がないわよね」

 ごく気軽に、お姉さまは呟いた。

「……しかし、おかしいなあ。 ……何だか、胸騒ぎがしてここまで来たんだけど……。 絶対、また何か特ダネが転がっていると思ったのに」

 ぼんやりとしたお姉さまの呟きを耳にして、真美は息を呑んだ。
 彼女のネタへの遭遇運は、前々から羨んでいたけれど……。
 まさか、これほどとは。

 ……お姉さま。

 真美は深く、お姉さまの胸に顔を埋めた。
 あなたが感じ取った事件は、確かにありました。
 そう言いたくて。
 あなたが感じた事件は、確かに起こっていたんです。
 それは、わたしの、心の中に。
 図らずも、お姉さまは事件をものにする事なく、解決してしまったの。だから、結果的には外れだったかも知れないけれど……。

 あ・り・が・と・う

 唇だけで呟いた。
 でも、声に出すことはしない。
 心のわだかまりが、嘘みたいに消え去ってしまっていても、まだ声は震えていると思う。
 かすれていると思うから。
 それに……。
 真美は、舌を出した。

「わたしって、可愛くないですから」





おわり
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